●第26回放送 : 楽しい学校めざす宮澤弘道さん〜「東ティモール体験」から教員に

楽しい学校めざす宮澤弘道さん〜「東ティモール体験」から教員に

 「あるくラジオ」第26回のゲストは、東京都の小学校教員で多摩島嶼地区教職員組合委員長の宮澤弘道さんでした。打ち合わせの定刻5分前に現れた宮澤さんは、頼れるお兄さんのような人。現職教員そして組合の委員長ならではの、学校現場のリアルなお話を聞くことができました。

 まず最初に驚いたのは、宮澤さんが教員になるまでのお話でした。宮澤さんは高校生のときに、東ティモールの井戸掘りのボランティアに参加し、内戦のさ中、命がけで学んでいる現地の子どもたちを見て、教員になる決意を固めたそうです。無気力で自殺まで考えた高校生活が、ここで変わりました。しかし、家庭の事情で大学進学を断念。働きながら通信教育を受けて、大学の卒業資格と教員免許を取得しました。大学を出て簡単に教員免許を取得した人たちとは、ちょっと違う、いや大きな違いのあるスタートでした。このお話を聞いて、なぜか現在の彼の活躍が理解できたように思いました。

 初めての学校職場は、楽しかったけれど年々窮屈になったそうです。東京都の「日の丸・君が代」の強制(2003年)以来、学校の管理と支配は急速に強化されました。職員会議では挙手、採決が禁止され、教員が学校の意思決定に参加できなくなる。6段階のピラミッド型の職階で職員室の風通しが悪くなる。教科書通りの授業を求められ、教員の自由でクリエイティブな発想が許されない。長時間労働は以前もあったが、質が変わったそうです。昔は自発的に楽しく仕事をして遅くまで残っていたが、今はやらなければならない仕事をこなすために遅くなる。事は、単純な長時間労働ということではなく、その中身の問題が大きくかかわっているのです。民主主義と自由が圧倒的に足りないのが、今の学校なのだと思いました。

 宮澤さんは、学びの中心は「楽しい」ということだと言います。子どもたちには、考えるということ自体に楽しみを見出してもらいたい。いまは「できる、わかる」が偏重されすぎていて、学ぶことの本質的な楽しさが見えなくなっていると。そうした中でも宮澤さんは、独自の工夫で、子どもたちに考えさせる授業をしているそうです。

 労働組合員もわずかになりましたが、労働者の団結した組織があることが何より大事だと言う宮澤さん。職員どうしが仲間としてつながれること、子どもたちが通うのが楽しい学校になることが理想だと語りました。最後に座右の銘を聞くと、「そういうものはない。ただ人は好き。たくさんの人に出会いたい。その中で、自分も成長していきたい」と話してくれました。実際のお話は、この何倍も充実したものでした。まだお聞きでない方は、ぜひ番組のアーカイブをご利用ください。(ささきゆみ)

 

●第25回放送 : 人生の幅が広がった「ギャラリー古藤」との出会い(永田浩三)

<6月23日放送 : あるくラジオ第25回「自由な表現空間〜「ギャラリー古藤」の試み」>

 

 武蔵大学の正門前にあるギャラリー古藤は、わたしの命の恩人とも言ってよい場所です。オーナーの大崎文子さん(写真右)と田島和夫さん(左)の明るい声がラジオから聴こえてきました。

 番組の冒頭、わたしとご夫妻との出会いが語られます。江古田駅前で昼食を済まし大学に戻る途中、新しくできた古美術のお店を偶然のぞいてみました。それが最初の出会いです。店の奥には立派な上映スペースが用意されていました。大崎さんは出版社、田島さんは練馬区役所を退職したばかり。これからいろんなことをやってみたいと夢を語られました。

 映画「ひろしま」をここで上映したい。相談を受けました。わたしの母は広島の爆心から800㍍のところで原爆に遭い生き残りました。わたしはこれまでビキニ事件についての番組はさまざまつくったことはありましたが、ヒロシマ・ナガサキについては距離を置いてきました。しかし映画のお手伝いをするなかで、被爆二世であることの自覚が深まり、結果として核兵器にまつわる本を2冊も世に出すことになりました。ご夫妻との出会いがなければ、今のような自己開示はなかったと思います。

 お世話になったことはあまりにたくさんあります。なかでも中国に残された日本軍「慰安婦」を記録した安世鴻さんの写真展や、表現の不自由展、ガタロ展、四國五郎・ガタロ師弟展のことは忘れられません。安さんの写真展や表現の不自由展には右翼の激しい攻撃がありました。おふたりが地域の人たちの応援を受けて攻撃をものともしなかったことをユーモアを交えて語られました。平和の少女像を持ってソウルから羽田空港に到着した彫刻家のキムウンソン・キムソギョン夫妻を出迎えたのは田島さんでした。展示された少女像がいかに素晴らしいか、愛情あふれるお話に胸が熱くなりました。

 ギャラリー古藤と武蔵大学を舞台にした江古田映画祭。実行委員みんなの持ち味を生かし、映画への愛、福島に寄せる思いをいっぱいに込めた手作りの映画祭は、早いもので12回を数えます。うちのゼミ生たちの映像作品を観ていただくことも定着しました。ラジオで映画祭の運営がうまくいっている秘密が紹介されました。

 最近のヒット企画は、独立プロ時代の今井正監督の映画の連続上映会。ギャラリー古藤は連日満員でした。わたしも「にごりえ」や「山びこ学校」の解説をさせていただきました。大学では扱ったことがないテーマに挑戦でき、人生の幅が広がった気がします。

 面白いイベントが次々に生まれ、地域のひとたちが結集する。それができるのはひとえに大﨑さん・田島さんの人徳によります。大崎さんが大事に思うのは憲法9条。「過ぎたるは及ばざるがごとし」は、田島さんの座右の銘です。どうか末永くお元気で。この番組を実現してくださった松原明さんやパーソナリティの志真秀弘さん、佐々木有美さんにお礼申し上げます。

●大勢の市民が「ギャラリー古藤」を守ってきた・・根津公子さんの感想

 大崎さん、田島さんご夫妻の退職金と貯金にマンションを売っての資金では足りずに4000万円の借金を抱えて開いた古藤。江古田映画祭のチラシはいろいろな通信等で見聞きし、私も何度か観ましたが、上映会は市民が年会費3000円を出して実行委員会に入り、お勧めの映画を出し合い決めていくといいます。「誰もの意見が尊重される実行委員会」と実行委員のお一人の感想メモ。また、ギャラリーに来られていた野村さんは「映画が大好き。古藤が近くにあってすごくうれしい」。田島さんは、「永田浩三さんがリーダーシップを発揮してくれて」と言われましたが、それだけでなく、お二人の人柄がまずあって、のことです。

 2015年に「平和の少女像」を展示して「表現の不自由展」を開いた際には、4~50人の右翼に襲撃された。それに対して、大勢の市民がシーツを集め古藤を覆い隠し守ってくれたといいます。お二人と集まった市民が、文化と芸術に触れあう機会を提供してくれていることを実感し、その機会を維持していくためには広めなくてはと思いました。お二人の思い入れが今回のお話から伝わってきて、私も頻繁に行きたいと思いました。

●第24回放送 : 「忖度・自粛」が蔓延する新聞メディアをどう変えていくか ゲスト=東海林智さん

 4月15日の「あるくラジオ」のゲストは毎日新聞記者・デスクの東海林智さん(58歳)。東海林さんは新聞記者の労働組合である「新聞労連」(86社・18000人)委員長も歴任してきた。1時間の番組では、新聞記者になったきっかけ、労働記者として見てきた日本の労働運動の話などに続いて、メディア界のリアルな現状を語った。1997年の新聞発行部数は5千万部だったが、現在は3千万部で2千万部も激減している。「貧すれば鈍する」状況のなかで、退社する人が多いという。
 東海林さんは毎日だけでなく、新聞業界の全体状況をこう語った。「マスゴミと言われるとがっかりする。現場の記者は頑張っている。しかし正直、現場はものすごく息苦しくなっている。忖度・自粛が蔓延しているからだ。政府からの直接の圧力はないのに、経営側や編集幹部は、面倒なことを避けたい、抗議行動をやられなくない、という思いから、突っ込んだ記事を敬遠するようになった。たとえばヘイトを批判する記事を出すと、裁判沙汰になったり右翼の抗議があるので避けたいということだ。それどころか、逆に差別や人権問題を一生懸命やる記者が“危険人物視”されるイヤな雰囲気になっている。これではいい新聞がつくれない」。
 しかしまともな記者たちは、政権からのプレッシャーや報道の危機に抗して声を上げている。「新聞労連のホームページをみるとわかるが、この1年間で放送法、秘密保護法、取材妨害などに関して16本の抗議声明を出してきた。新聞労連は綱領に“戦争のために二度とペンをとらない”を掲げているが、戦争に向かう流れに抗して頑張っている。こうした抗議声明を読んで、一緒に考えてほしい。また会社から危険視されている記者たちは、最近、全国交流会をもった。忖度・自粛の状況を変えていく動きにしたい。あきらめてはいない」。
 この日もゲバラのバックを手にしてきた東海林さん。「ゲバラは私のアイコン。好きなんです」。ジャーナリズムとは何かを問われて、東海林さんは「メディアは権力者の楽隊になってはならない。暗闇の光があたらないところに光を当てること、闇を照らすことが私たちの仕事だ」ときっぱり語った。
 この日の休憩タイムの音楽は、東海林さんがお気に入りのジョリモームの「ワルシャワ労働歌」。うきうき元気になるパリの路上コンサートの歌声がスタジオに拡がった。
*ジョリモームのDVDはこちらから申し込めます。http://vpress.la.coocan.jp/jori.html

●第23回放送 : 一番伝えたいことは「戦争は地獄」〜大木晴子さん、大いに語る

 1月14日の「あるくラジオ」のゲストは、新宿西口地下広場でスタンディングを続けている大木晴子さんだった。配信場所のビデオプレス「すぺいすしょう向原」で、画家・丸木俊さん自筆の看板前でまず記念撮影をした。1時間たっぷりとご自身の半生とたたかいを語った大木さん。なかでもいま一番訴えたいことは「戦争は地獄」ということだった。沖縄に何度も通い、沖縄戦を体験した「オバア」の話に耳を傾けてきた大木さん。「私はいつもオバアの顔のシワをみています。それは赤ちゃんの小指は入るほど深いのです。戦争の悲しみ、苦しみが刻まれ、伝わってきます。若い人にはぜひ沖縄に行って、オジイオバアの話を聞いてほしいと思っています。そうすれば必ず変わります。いま一番大事なことは、戦争を止める、やらせないために一人ひとりが動くことです」。
 1969年ベトナム反戦運動に関わり、新宿西口広場でフォークゲリラとして、歌で反戦を訴えた大木さん。フォーク集会はピーク時には7000人の市民が集まった。道交法違反で警察に逮捕・勾留された大木さんの話が面白かった。当時20歳だった大木さん。「最初に令状を見せられたとき、え、これって映画のワンシーンみたいと思った」という。留置場のなかで生まれて初めて知った言葉が「美人局」(つつもたせ)。あとで辞書で調べたら「男女が共謀して行う恐喝または詐欺行為」のことだった。「美人局」で逮捕された女性の体験談を聞いた大木さんは、大変な苦労をして生きている人がいることを思い知った。「留置場での出来事は私の宝。お金を払っても体験できない貴重なものだった」という。
 半世紀前、かつてない高揚と熱気あふれたベトナム反戦運動の時代が日本にあった。しかし、その若者たちが大人になったが、世の中は変わるどころか悪くなってしまった。人々の政治的無関心は広がっている。なぜだろう? 大木さんはこの問いにこう答えた。「経済成長にのみこまれたのではないか。子どものためにマイホームを建てゴージャスな生き方がいいとされ、その反面、大らかさ、しなやかさ、優しさ、隣の人に眼をむけることが失われたのではないか。当時の若者には“捨て身の楽天性”があった。私はこれをとりもどしたい。若者に語りかけたい。それには、だれもの集える出会いの場をつくること。いい映画を見てディスカッションすること。そういう広場をつくることから始めたい」と。
 74歳、大木さんの歩みは止まらない。ぜひアーカイブでお聴きください。(松原明/「あるくラジオ」技術担当)
・レイバーネット記事 http://www.labornetjp.org/news/2023/0114hokoku
・アーカイブ録画(60分)https://youtu.be/HEX8njIAup4

<以下、放送直後にリスナーから寄せられた声>

 大木さんの柔らかな話ぶりが印象的でした。大木晴子さんは「戦争は地獄だ」と繰り返していました。戦争に身を乗り出す岸田政権を毎日眼にします。「戦争は地獄だ」が一人でも多くの人の言葉になってほしい。中村哲さんの話を大木さんは2度引かれていましたが、中村さんの言葉を自分の言葉にして行動し続けている大木晴子さんに励まされます。(T/S)

 


●第22回放送 : 民衆の抵抗史を再現する講談の力〜「あるくラジオ」甲斐淳二さん

放送を聞いて 根津公子
 皆さん、10月15日の「あるくラジオ」、「民衆の抵抗史を語り継ぐー甲斐淳二(織淳)さんに聞く」を聴かれましたか? 社会人講談師の甲斐さんのお話と講談、とてもよかったのでまだの方にお勧めします。
 「田中正造の直訴が嵐を呼び起こす」の演題で15分の作品を5分に短縮した講談。「時は1900と飛んで1年、明治34年12月10日、所は国会があった内幸町の交差点。…第16回国会開会式が開かれており…正造は人ごみにまみれ外套の襟を立て、懐に直訴状を忍ばせて…」と幸徳秋水が書いた直訴状を天皇に渡そうとする場面から始まる。緻密な描写で迫力があり、とてもリズミカル。お聴きしながら頭の中には自然と映像が浮き上がってきた。甲斐さんの、講談のことばの力です。以前お聴きした15分の完全版は、直訴状を書いた秋水、直訴状に涙した15歳の石川啄木の3人が登場し、民衆の抵抗史を再現する。たたかってきた甲斐さんだからできた作品と思う。
 甲斐さんは2011年3月11日の地震により福島第一原発の放射能事故が起きたことで、明治時代からのこの国のあり方を考え直さなくてはと、公害の原点「足尾鉱毒事件」について勉強を始め、まずは正造のお墓参りから。文献に当たり、秋水と堺利彦の声色や互いの呼び方まで、調べ考えたという。「100年前も今と同じ、加害者は責任を取らない」。こうして講談が誕生したことに感銘を受けた。
 甲斐さんは大学卒業後、青函連絡船(旧国鉄)の航海士として就職し、国鉄民営化で解雇される。その半生についてのお話も聞くことができた。


●第21回放送 : 勇気と希望をもらいました〜「あるくラジオ」吉良紀子さんの素顔

 7月29日放送の第21回「あるくラジオ」は、ユナイテッド闘争団の吉良紀子さんがゲストでした。テーマは「客室乗務員は私の人生そのもの」で、解雇争議の話だけでなく、彼女の生い立ち、銀行員からの転職、客室乗務員の仕事への思い、家族のことなど、吉良さんの素顔に迫る番組になりました。放送後、さっそく感想が寄せられました。以下、紹介します。

●勇気と希望をもらいました(根津公子)
「あるくラジオ」を聴きました。吉良紀子さんの語りは、困難の中まっすぐに生きる吉良さんのこれまでが出されていて、最後の「棺桶に入るときに笑っていたい。そう生きたい」に頷きました。吉良さんのさわやかな声の響きが伴い、勇気や希望をいただきました。さわやかさがとてもいいですね! 初めは12人で闘い始めたが現在は2人でのたたかい、それぞれに生活がかかったことだからと思いながらも、仲間うちでの苦闘を想うと涙が止まりませんでした。でもでも、前を見て闘い続ける吉良さんと千田さん。客室乗務員の仕事が好きが闘い続ける力になってきたことに、私の体験と重ね合わせて大いに納得しました。ユナイテッド航空の「苦情受付」に「解雇を撤回せよ」とメールしようとアドレスを探しているところです。闘い続ける人がいるから後に続く人が出て、社会の劣化を多少ともくい止めていると、改めて思いました。(「君が代」不起立教員)

●闘う人の真実の声に感銘を受けました(笠啓一)
あるくラジオ、聞きました。感銘を受けました。闘う人の真実の声を聞き出していただいて、現場に学ぶことの大事さをあらためて実感させられました。最後の、運転中の夫君が職質を受けたときの吉良さんの警官の差別意識を指摘した発言には驚き感動しました。とっさに言えることではないように思います。闘う人の声というのでしょうか。ありがとうございました。


●第20回放送 : 日本人は「平和憲法」を空気のように受け入れた〜笠啓一さん語る

 2月23日の「あるくラジオ」のテーマは「93歳のわたしと憲法」でゲストは笠啓一(りゅうけいいち)さんだった。戦争が終わったときが17歳。義兄はフィリピン沖で潜水艦の中で水没死したという。笠さんは「自分もお国のために死ぬのがあたりまえ」と本気で思う軍国少年だった。1945年の敗戦、そして新憲法の公布。パーソナリティがこう尋ねた。「憲法は押しつけという人がいますが、どうだったのですか?」。ゆっくり言葉を紡ぎ出す笠さん。「とんでもない。私たちは空気のように受け入れた。こんなひどい戦争がなぜ起きたのか。日本でもアジアでもひどいことをした。二度としてはだめだ。それが全国民のいつわざる気持ちで、憲法は日本人の体の中にすっぽり入っていたのです」「ダグラス・ラミス氏が書いているが、平和憲法がうまれたのはあの数年の時期しかなかった。国のタガがはずれ民の力が吹き出していた。とてもラッキーだった。アメリカと日本政府はすぐに再軍備をしようとしたが、民がそれを許さなかった」。そうだったんだ、聞いていて私の胸にストンと落ちた。

 しかし戦後77年を経ていまや日本国憲法は風前のともしび。その後日本人は経済成長で浮かれてしまったのだろうか? 私も質問させてもらった。「なぜこうなってしまったと思いますか? メディア・教育・労働組合の弱化などが原因ですか? どうしたらいいですか?」。笠さんはこう答えた。「すべてその通りです。でも一番は私たちが市民社会をつくっていないこと。国家の横暴をとめる私たち主権者の意識が弱いことです。ガンジーは『主権者の尊厳』と言っていて、マルクスは奴隷制は『私たちは奴隷でない』と言った瞬間に終わると言っています。私たちが主権者だといえば、国を支配するかれらはびびります。戦争直後、自然発生的に読書会やサークルがつくられました。一人ひとりが本を読み、勉強し、討論しました。そんな小さなサークルから大きなサークルが生まれてくると思います」。

 あっというまの1時間でたくさんのことが教えられた。市民社会とは自覚した主権者のネットワークなのか。私の体のなかにわき上がるものを感じた。その後、ラジオを聞いた人たちからも熱い反応が次々に届いている。ウクライナ危機で世界が戦争に向かっている今こそ、93歳・笠啓一さんの話を多くの人に聞いてほしいと思う。(松原明/「あるくラジオ」技術担当)

<「あるくラジオ」で笠さんが紹介した本>

①『ガンジーの危険な平和憲法案』(ダグラス・ラミス、集英社新書、2009年刊、680円)
②『〔増補〕憲法は政府に対する命令である』(ダグラス・ラミス、平凡社ライブラリー、2013年刊、1000円)
③『経済学批判要綱』(カール・マルクス、高木幸二郎監訳、5分冊、大月書店、古本で入手可能です)

<パーソナリティのしまさん宛てに寄せられた感想>

●笠啓一さんのラジオ番組、お知らせをありがとうございました。聞きました。笠さんがサルトルを読んだというのは、小沢信男さんとはちょっと違う感じでしたが、敗戦直後の様子がよく分かるお話でした。各地でいろいろなサークルが叢生したこと、それは占領軍の政策でもあった(民主化のすすめ)ことなど、当時のことと、今からの評価が明晰で、とても参考になりました。(T)

●広島県福山市の児童文学者・皿海達哉氏に今回の「あるくラジオ」のアドレスをメールで送ったところ、すぐに聞いて、感想を電話で寄せてきました。開口一番にとても素晴らしいお話だったとし、今改憲論議の中で、押しつけ憲法だという議論があるが、笠さんのお話からもあの時代の人たちにとって、あの憲法が、天皇から人民へと主人が変わっていった時代の移り変わりを体現するものだったということがわかる。海軍に行った肉親が潜水艦という棺桶の中に今もいるという思いに胸を打たれ、日本だけでなくアジアの人々に多くの犠牲者を出したのだという思いに共感した。ガンジーのインドの解放がこれまでできなかったのは、国民が臆病であったことによるとの指摘は日本人にも言えるのかもしれない。そして人間の「尊厳」という言葉が心に強く残った。いくつもメモを取りながら聞きました。自分は明日80歳の誕生日を迎えるが、70代最後の日にいい贈り物をもらったとお礼が言いたい。概略このような感想でした。機会があれば笠さんにお伝えいただければ幸いです。(O)

●憲法押しつけ論について、しまさんが問いかけたことに、松原さんの発言もありましたが、もう戦争はこりごりってことがよく分かりました。ダグラス・ラミスがガンディーのことを書いているのは知りませんでしたので、必読文献ということで、ぜひ読みたいです。新書のようですね。主権者として自立すること、これは中野重治も戦後すぐの評論のなかで繰り返し主張しています。市民社会として成熟していないというのも、とてもうなずけるお話でした。貴重なお話でした。ありがとうございました。(T)

●「笠啓一さんに聞く」を聴きました。基本的な考え方、即ち戦争、憲法との距離感が小沢信男さんとそっくりで、当たり前と言えばそうですが・・・。中で彼が勧めていたダグラス・ラミスですが、全く知らなかったのですが、調べてみますと何れの著書も良さそうです。(W)
●「あるくラジオ」の笠啓一さんのお話、拝聴いたしました。実際に、生の声でお話を聞くというのは、とても貴重なことだと再認識しました。「再考再論の会」の課題図書にダグラス・ラミスの著作をとりあげたいですね。今日はありがとうございました。笠さんのお話は「スクラップ帖」(ぼくの日誌)にまとめておきます。(A)

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●第19回放送 : たたかいなくして安全なし〜JALパイロット山口宏弥さんに聞く

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●第18回放送 : 「官製ワーキングプアの女性たち」

 しまひでひろ・ささきゆみさんがパーソナリティを務める「あるくラジオ」も18回目となりました。10月17日の放送は、瀬山紀子さん(元公立女性関連施設非常勤職員)と山岸薫さん(ハローワーク非正規相談員)をゲストに、不安定・低賃金・差別の「非正規公務員/官製ワーキングプアの女性たち」の実態を伝えました。「非正規公務員」の8割は女性で、この問題は「労働問題」とともに「女性問題」でもあります。こうした現状を変えようと頑張っている「公務非正規女性全国ネットワーク」 (はむねっと)の活動も知ることができました。

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●第17回放送 : たたかう人権派弁護士〜指宿昭一さんに聞く

 7月4日の「あるくラジオ」は、「たたかう人権派弁護士〜指宿昭一さんに聞く」 でした。1時間たっぷりと「指宿ワールド」にひたりました。

 

・米国務省「人身売買と闘うヒーロー」賞、受賞の意味
・入管法改悪阻止のたたかい、ウィシュマさん死亡事件の究明
・時給300円で使い捨てにされる技能実習生事件のこと
・インドカレー店「シャンティ」倒産・解雇事件のエピソード
・学生運動から46歳で弁護士になるまでのお話

 

 などなど、あっというまの60分でした。「いまは外国人は遠くの話ではなく隣人の時代」。どう向きあいどう一緒に生きていったらいいのか。示唆にあふれる番組になりました。ぜひお聴きいただき、アーカイブを広げてください。ウィシュマさん事件の真相解明はこれからで、ビデオ開示要求の署名運動もこれからはじまるとのことです。(M)

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●第16回放送 : 君が代不起立を貫いて〜根津公子さん

 「私はいま一番幸せです!」こんなことをはっきり言える人は少ないだろう。 根津公子さん、元中学教員。卒業式・入学式のたびに「君が代不起立」を貫い て、そのたびに処分を受け最後は「停職6ヶ月処分」を2回も。あとは「解雇」 しかなかった。仲間の友人から「卒業式だけ休めばいいじゃないか」と言われ、 心が揺れた。「一度、逃げようと思ったこともある。しかし自分が許さなかっ た。自分をごまかしたらその後の人生を生きていけないと思った。ますます国家 主義に向かう日本、モノが言えなくなる学校、奪われる教育の自由。それを考え ると、これは私だけの問題ではないと思った」。そして根津さんは踏みとどまっ た。6つの裁判をたたかい2勝4敗だった。「私は本当に幸せです。なぜなら自 分を裏切らずに生きることができたから」。最高裁決定では「停職6ヶ月」は重 すぎるとして取り消された。根津さんのたたかいが「君が代処分」に「歯止め」 をかけることになったのだ。  

 5月8日に放送された「あるくラジオ」で、根津さんは約1時間、その人生と歩 みをリアルに語った。良妻賢母をめざしたという根津さんが、なぜ教員の道を選 び、社会に向き合うようになったのか? 70年代、当時の自由な学校の雰囲気の なかで、教員は「広島見学」などの平和教育を実践し、子どもたちは伸び伸びと 育っていた。日教組が強く「日の丸君が代」反対があたりまえだった職場。しか し90年代以降社会の右傾化が進み、石原都知事の強権政治(2003年「10.23都教 委通達」)からガラガラと崩れ、抵抗する教員は数えるほどになってしまった。 そして職場は萎縮した。2006年、鶴川2中のエピソードが紹介される。自民党の 市議が「ルールを守らない教員はやめろ」と学校に圧力をかけた。生徒たちも扇 動され、根津さんを階段で突き飛ばす事件まで起きた。「非国民」とまで言われ たという。  

 しかし後日、根津さんのたたかいをYouTubeなどで知った生徒たちの中には、 応援する人も現れた。シールズの福田和香子さんもその一人。「鶴川2中」で根 津さんの「停職出勤」の様子を見て、「声を上げてもいいんだってこと」を学ん だという。日本のファッショ化を体で受けとめてきた根津さんの話から、見えて くるものがたくさんあった。  以下、感想が続々と寄せられているので一部紹介する。「根津さんと兵士だっ た父親との葛藤。子どもたちとのエピソード。心が震えぱなしの放送でした」 (H)。「パーソナリティの丁寧で自然なインタビューが、根津さんにしっかり 語ってもらう方法でしたので、たった1時間でしたが、貴重なドキュメント・物 語になっていました。多くの人に聞いてほしい」(O)。「内容がとてもよかっ た。根津さんの声が艶やかなのに驚いた。やっぱりラジオってテレビと違う特別 のメディアだと思った」(R)。

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●第15回放送 : フランスの「コモン」のたたかいに触れる〜根岸恵子さん

 インターネットのラジオ「あるくラジオ」は今回(3/26)で15回目となった。ゲストはフランスのドキュメンタリー映画『雄叫びー気候変動へのたたかい』を日本に紹介した根岸恵子さん。世界をかけめぐって活動している「自由を追うアクティビスト」である。話は多岐にわたったが、フランス・ナントの空港建設反対闘争の話はとても新鮮だった。根岸さんは実際、その現場に入り一緒に泊まりこんで生活していた。それは「ZAD」(ザッド/「守るべき土地」の意味)と呼ばれる運動で、開発計画に物理的に阻止するために地域を「占拠」するのである。警察とのやり合いもあった。「本当にさまざまな人が来ていました。そこではお金は一切必要ありません。物々交換の場所があってそこで必要なものを調達したり供給したりしています。広い敷地なので移動手段は自転車ですが、自転車はすべてみんなの共有物です」。たたかいの中で一種のコミューンがつくっていたのが「ZAD」だった。ナントのたたかいは時期的にも日本の三里塚闘争と同じで共通点も多く、一部には伝えられていた。しかし、根岸さんから初めてその内実を詳しく、しかも楽しく聞くことができた。これは貴重だった。いまグローバル資本主義が行きづまり「コモン」の必要性が言われているが、「ZAD」の試みは「コモン」を考えるヒントに満ちていた。パーソナリティは、しまひでひろさんとささきゆみさん。次回(5/8)は、最高裁で「君が代」停職6月処分の取り消しを勝ち取った根津公子さんが登場する。(M)

〔リスナーの感想〕
●市民運動のいろんなヒントが見えてきた(志水博子)
 以前から、ささきゆみさんたちの「あるくラジオ」を聞きたいと思いながら、なかなかチャンスがなく、3月26日、根岸恵子さんがゲストということで、ようやく初めて聞くことができました。
 ちょうど、その4日前も、根岸さんたちが主催されている「731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会」があったのですが、根岸さんは、1月の「731部隊と大連黒石礁事件」を担当されていて、そこからどういうきっかけで731部隊の問題に関心を持たれたのだろうと、興味というと失礼かもしれませんが、根岸さんのこと、もっと知りたいと思っていたところでした。
 731部隊のことも、最後のところで紹介されていましたが、それよりも、北アメリカ先住民から学んだコモンを担保するためには水平主義がなくてはならないというお話や、中盤で語られていた、フランスのナント新国際空港反対運動に参加された時のお話がとっても面白かったです。いろんな人がそこに集まって共同生活をしながらついには国に建設を断念させたそうですが、特別なリーダーがいたわけではなく、まさに水平主義の延長にあったコミュニティだったようです。
 また、昨年レイバーフェスタで上映された『雄叫びー気候変動への闘い』は根岸さんが翻訳紹介した作品ですが、ぜひとも観たいと思いました。
 番組を聞きながら、タイトルの「自由を追うアクティビスト」はまさに根岸恵子さんにぴったりの表現と感心しましたが、日本のこれからの市民運動のいろんなヒントがここにあるように思いました。アーカイブでも聴けるようですので、ぜひどうぞ! 次回は、根津公子さんがゲストとのこと。これも絶対聴き逃せません。

●根岸さんの「自由さ自然さ」に圧倒されました(N)
 昨日(3/26)の「あるくラジオ」はすごくよかったです。「自由と大地」に魅せられて動きはじめ、フランスでの生活。根岸さんの自由さ・自然さに圧倒されました。根岸さんのお話に、『雄叫び』の映像や語りを思い起こしながら、この作品と根岸さんの生き様が重なり合って、希望を見るような思いを持ちました。731部隊についてはもっとお聞きしたかったです。1時間では聞き切れないですね。

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●第14回放送 : あらためて国鉄闘争を考える  森 健一さん

 1月8日に今年最初の「あるくラジオ」が放送された。ゲストは、大著『戦後史のなかの国鉄闘争』を発刊した森健一さん。パーソナリティのしまひでひろさん、技術のまつばらあきらさん(『人らしく生きようー国労冬物語』制作者)の質問に答える形で、森さんは「国鉄闘争」をたっぷり語った。そこから、これからの労働運動への教訓・示唆が見えてきた。アーカイブをご活用ください。

 

 この番組の中で気づかされたことがある。国鉄労働組合(国労)にかけられた「人材活用センター」という名の”収容所”送りは、実は1960年代半ばに、自動車や電機、精密機器など、民間大手で反共の労務政策として、とうにやられてきたことであって、テーマ曲にも流れた、田中哲朗さんの沖電気争議は、活動家の残っていた数少ない職場だった。川崎や東京南部の東芝、NEC(日本電気)・・。全国では、日産やトヨタの活動家の “隔離” 職場もよく知られていた。番組の翌日(1月9日)に聞き取りをした、国鉄闘争に連帯する会の山下俊幸さんは、千葉県市原市の昭和電工の活動家だった。職場で上司に一件でもモノ言おうものなら「◎アカ」として外された。逆にインフォーマル組織に抜擢されそうになった。

 

 結果論だ、理想論だと言われるかもしれないが、国鉄や全逓、日教組、自治労・・と戦後の総評労働運動にまだ力のあった時代に、職場と居住が一体となって、権利を奪われている同じ労働者の処遇に関心を向けられなかったのか。冊子や記事からまとめた、この国鉄闘争の本『戦後史のなかの国鉄闘争』で繰り返し、地区労の可能性に言及したが、職場と地域に、未組織の労働者と共に闘おうとの呼びかけが実現していたなら、かくも劣化した、この40年近くはなかったろう。パーソナリティのしまひでひろさんが述べるように、敗退させられた、負の教訓をつないでいって、次には勝とうという、積み重ねが、相手方(国家権力、大資本)に対して、圧倒的に少ない。

 

 北海道の紋別闘争団の清野隆さんの手記に松原明さんが声を詰まらせた。幹部請負ではない、労働者一人一人が主人公であってこそ労働組合だ。卑怯なことはすまい、理不尽なことには、一人でもモノを言う、職場闘争で積み上げられた国鉄労働組合の魂が、国労本部よりも家族会の中に残されていた。音威子府闘争団の家族会、藤保美年子さんのスピーチに国労臨時大会の雰囲気は一変させた。私も仲間が少ない私学職場でつよく励まされた。

 

 番組を通じて、労働者のなかの、私たちの側の「道徳性」にも気づかされた。1980年代半ば、中曽根内閣が進めた国労攻撃は、働く側の「道徳性」をズタズタに引き裂くものだった。イギリスでもケン・ローチ監督が『家族を想うとき』で描いたように、配送ドライバーや在宅ケアの請負契約、個人事業主化が極端化、まとまだった労働者家族が壊される悲しみを子どもの眼から描いた。現在にいたる、新自由主義は、労働者の個々を競わせ、互いの反目と不団結を生むシステムだ。労働者派遣法の制定と改悪は、国労攻撃と一体だ。

 

 松原さんによれば、先日の国鉄闘争を支えてきた『労働情報』誌の終刊シンポジウムでは、「女性・非正規・外国人」こそが、新たな労働運動の再構築、反発の跳躍点と締められたとのこと。昨年末、鹿児島の『人らしく生きよう―国労冬物語』上映会では、引き続き、国鉄闘争の公開での討論やシンポジウムを企画、立案して、音威子府の藤保美年子さんも鹿児島に招きたいという声もあったほどだった。ぜひ、国鉄闘争をつうじて、私たちの側の同時代史を紡いでいこう。(2021年1月13日記)

 

★リスナーの感想

聴きました!ボロ泣きしました

 

 あるくラジオ「国鉄闘争とは何だったのか」を聴きました。感動的な一時間でした。

 「国鉄がなくなってもいいから国労をつぶせ」とまでささやかれていたという戦後最大の愚政策。乗客の安全を守るために働いている労働者の誇りを奪い、仲間を裏切らせ、たくさんの人たちを自殺に追い込んだ国鉄分割民営化。あらためて、今のリストラやパワハラといった労働現場に通じるばかりでなく、被害者の中での分断、命や安全の軽視などが当たり前になってしまっている、その出発点がここにあったのだと痛感しました。

 

 森健一さんの温かみのある語りが心にしみました。高校教師だった森さんが、なぜ『戦後史のなかの国鉄闘争』なる原稿用紙2000枚にも及ぶ大著を書くに至ったのか。映画『人らしく生きよう~国労冬物語』(2000年)を観て、その中で音威子府闘争団の藤保美年子さんの演説を聞いたのがきっかけだと話していました。一人の女性の発言が、人を変える。その藤保さんの演説シーンも番組の中で流れてきます。私も『人らしく』は何度も観ていて、これがハイライトシーンであることは間違いないのですが、音声だけで聴く藤保さんの声と場内の歓声、そしてこの演説が何を意味していたのかを森さんや松原さんが語ることで、いろいろなことを考えさせられました。

 

 森さんも松原さんも、自身が職場で闘った経験があるから、ここまで闘いの現場に深く入り込んで本や映画を作ることができたのでしょう。何事も「光と影」がある中で、影の部分にも向き合っていかないと、過去の問題として終わってしまいます。松原さんは「女性、非正規、外国人という最も矛盾が現れたところに組合がない」ことに触れ、あらためて国労問題を世に問う必要性を語っていました。「間違っていることを間違っていると言えるのが組合」「闘いは上から指示されてやるものではなく、一人一人から」という、国労本部によって蔑ろにされたものが、家族会や「不器用な」労働者の中に脈々と根を張っていたという話にボロ泣きし、エンディングの『人らしく生きよう』で、また涙。

 

 森さんの『戦後史のなかの国鉄闘争』には、『人らしく』に出てこない組合員のことも沢山書かれているそうです。ぜひ読んでみたいと思いました。分厚いのでなかなか読むのが大変そうだという人も、このラジオを聴くといろんなことがわかると思います。ぜひ聴いてみてください。

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●第13回放送 : なぜ労働映画をつくり続けるのか?

 しまひでひろさんとささきゆみさんがパーソナリティを務める「あるくラジオ」。2018年10月スタートで、もう13回目になった。前々回の乱鬼龍さん、前回の木下昌明さんとレイバーネットおなじみのメンバーが続いたが、知っているようで知らなかった二人の素顔と人生を浮き彫りになって大好評だった。そして12月1日の今回は、ドキュメンタリー映画『アリ地獄天国』をつくった土屋トカチさんだった。
 精魂こめてつくった『アリ地獄天国』に秘められた制作エピソードが面白く、話はつきない。しかし、なにより心をつかまれたのは、トカチさんの人生の歩みだった。「小さいとき将来なりたい職業はケーキ屋さん。食いしん坊でトンカツのことばかり考えていた。しかし小学5年生のときに人生が一変した。父親が事故で亡くなったのだ。それから世界観が変わった」という。「父を亡くしただけで、差別を受けた。『片親の子はグレる』と言われた。悔しかった」。しかしトカチさんは、その差別に負けずに猛勉強して社会のことを学んでいったという。
 新聞配達しながら大学を卒業した。映像制作会社に入ったが、映像部門の閉鎖に遭い解雇された。他のメンバーは泣き寝入りしたが、かれは、そのときユニオンに入ってたたかった。その結果「解決金」を獲得し、次の人生の元手になった。機材を揃えることができたのだ。そんな時、映像仲間と出会うなかで「映画の道」が開かれていったという。『フツーの仕事がしたい』『アリ地獄天国』と労働者の映画にこだわる原点は、かれの人生そのものにあったのだろう。
 来年「天命を知る」の50歳になるトカチさん。最後に「座右の銘」を聞いた。はたしてどんな答えなのか? 番組で御確認ください。(技術担当・まつばらあきら)

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●第12回放送 : 地域をつなぎ社会をカエル=片山かおるさん

 10月25日、「あるくラジオ」第12回を放送した。ゲストは東京・小金井市議の片山かおるさんで、テーマは「地域をつなぎ社会をカエル」だった。「子どもが生まれたときに夫婦だけでなくコミュニティで育てたい」と思っていた片山さんは、野外保育所と知り合い「子どもの権利」を考えるなかで、社会に眼を向けていった。そして、「子育て支援ネットワーク」の運動の中から市議に当選し、もう11年も市議を務めている。小金井市は4キロ四方、人口12万人の小さな自治体だが、24人の市議のうち女性が9人で市民派が多いという。「国政と変えることと地域を変えることは同じ」と地域で人々のつながりをつくることに力を入れている。

  4月のコロナ渦では、「カエルハウス」で週二回、困窮者のための相談活動をしたり、居場所を提供した。5度訪問した韓国ではソウルの市民民主主義に影響を受けた。「現地を視察したとき、説明員が20代・30代と若いのに驚いた。それからソウルの行政は、日本のような上から目線でなく対等の目線だった」。片山さんは「これからは女性の力が大きい」という。「女性バッシングもあるが、実際には目覚めていく人が多い。女性には本質を逃さない力、生き抜く力、地に足がついているところがある。議員をはじめ、さまざまな分野に女性を増やしていきたい」と抱負を語った。

 「元気の秘訣は?」の質問には「やはり怒りかな? 最近、怒ることが多いのです。怒りが原動力だと思います」と。1時間にわたって奔放に語った片山さん。地域から社会を変えていくヒントが満載の番組になった。パーソナリティは「しまひでひろ・ささきゆみ」さん。ぜひ、アーカイブでお聴きください。なお次回の「あるくラジオ」は12月1日午後2時、ゲストは『アリ地獄天国』を監督し全国上映中の土屋トカチさんです。(M)

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●第11回放送 : 木下昌明さん、半生を飄々と語る

〈あるくラジオ〉のしまひでひろです。〈あるくラジオ〉は、前回の乱鬼龍さんに続き、今回は「映画批評家・木下昌明さんに聞く」を放送。レイバーネットでおなじみのかれが半生を語ります。名付けて「木下昌明 芸術運動半世紀篇」。年輪を加えた飄々とした語りが、なんとも楽しい。これを聞けば胸がすく。ぜひお聞きください。

 

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●第10回放送 : 今こそ川柳が出番です ゲスト=乱鬼龍さん

 不定期のネットラジオ「あるくラジオ」が4か月ぶりに再開した。6月20日のゲストは、川柳人の乱鬼龍さん。ふだんは駄洒落のオジサンと思っている人もいるが、この日は川柳にかけた思いをたっぷり1時間語った。乱さんは川柳をつくるだけなく、つくり手を広げている。2008年リーマンショックを機に増大した「ワーキングプア」層。これからの川柳は「サラリーマン川柳ではなくワープア川柳だ」と直感したという。それがきっかけでレイバーネット川柳班がうまれた。また『救援』というニュースを通じて、獄中者に川柳を広げている。毎月「乱鬼龍」賞も出していて、3畳に閉じ込められた人たちの貴重な表現の場になっている。番組では死刑囚が詠んだ「死刑囚あなたに夢はありますか」や「獄中でたった一人のデモ行進」の句が紹介された。コロナ禍でもありパーソナリティのしまひでひろ・ささきゆみ両氏も含めて、全員「フェイスシールド」をつけての収録となった。配信直後から感想が寄せられ反響の大きさを感じた。以下、寄せられた感想を紹介する。

●乱さんの川柳人生が生き生きと

 乱さんが高校時代から短詩形――詩や短歌、俳句の創作をしたけれど、川柳が自分の「呼吸にあった」という話に、そういうことある!と同感しました。
 できた川柳を100均で買ったゴザに大きく書いてデモに行く。季節の造花も添えて。一目で読めるよう難しい表現や漢字は使わないと決めている、という心配りにも納得です。
 経産省前テント村での川柳句会の開催、テントが撤去されれば青空句会、と、どんな状況にあっても、つぎつぎ動く。コロナ禍のなかでも、むしろ旗をもって馳せ参ずる乱さん。
 レイバーネット川柳班での乱さんの活躍は知っていましたが、軽やかな語りから、乱さんの川柳人生が生き生きと伝わりました。
 『救援』での川柳選句を何十年も続けていること、受刑者たちの川柳を初めて知りました。本が近く出版されるとのこと、楽しみです。闘争には、勝利体験も必要で、それが創作にもつながっていくという指摘にうなずきました。
 乱さんの声が聞きやすいことに驚きました。かれの知らなかった一面をひき出した聞き上手な二人のパーソナリティーにも感心しました。ダジャレ連発の乱さんの語りに、大笑いしました。ありがとうございました。(中山の魔女)

●久米宏「ラジオなんですけど」よりよかった

 「あるくラジオ」(「今こそ川柳の出番です」)を聴きました。 13時から久米宏の「ラジオなんですけど」を聴いていて、玉城デニーが登場したので聞き入ってしまい、途中で気がついて慌てて「あるくラジオ」に変えました。久米さんもいいけど、こっちのほうがずっとよかった。アーカイブで改めて聴きましたが、これはもう絶対おすすめの放送です。日ごろから活動の場でおなじみの乱さん。いつもと同じようにダジャレ連発でしたが、なんだかラジオで聞く乱さんの話はとっても新鮮で、深くて面白かったです。
 デモで登場するお馴染みの「むしろ旗」に秘めた思い。川柳というジャンルがもっとも肌に合っていたという話。獄中(死刑囚)に、俳句でなく川柳を勧めていること。戦争を止められなかった親世代に代わって、とんでもない安倍政権を倒さなくてはという思いが根っこにあり、本気でそれをやるためには「成功体験」が大事なんだという話。引き込まれながら聴きました。志真さん、佐々木さんの合いの手がこれまた絶妙で、プロの仕事だと思います。(堀切さとみ)

 

●はっきり言って面白かった

 今日は我が川柳班の若手、乱鬼龍がゲストで「あるくラジオ」があるというので、川柳班員として、「✓」しておかねばと、やらなければならないことを後回しにして、聞きました。はっきり言って、なかなかいい内容でした。というか、面白かったですよ。川柳を通して、乱さんのファンの様子もわかったし、紹介された句も なかなかよかった。 (笠原眞弓)

●大人のセンスで、内容が深くてタイムリー

 私も、あるくラジオききました。乱さんとは10〜20年の古い付き合いでも、知らないこといっぱいでした。レイバーはラジオもテレビも身近な感覚(素朴というか)なのに、大人のセンスで、内容が深くてタイムリー。既存メディアの番組より、断然いいです。(高橋)

●死刑囚の川柳にグッときた

 佐々木さん(と志真さん)がインタビューする「あるくラジオ」、今回は川柳家の乱さんでした。乱さんの語り、すごくおもしろく聴きました。最後のところで松原さんがした乱さんへの質問。乱さんの返事に感動しました。また死刑囚のあの川柳にグッときました。皆さん、ぜひ聴いてください。佐々木さん、ありがとうございました。(根津公子)

●眉をひそめる人たちにも届く「工夫」に感心

 今回のあるくラジオ、乱鬼龍さんゲスト放送回ありがとうございます。311後の国会前抗議や、あらゆる抗議行動の場所で乱さんがムシロを掲げて歩く姿を見てはいましたけど、佐々木さんの実体験で、重たくて風を受けると大変な百均ムシロに書かれた川柳が立体的に見る事が出来る良い放送回でした。私個人は街頭の抗議でただ集まってコールするだけの団体行動は生理的な苦痛を感じるので、乱さんが街頭で眉をひそめる人たちにも届く「工夫」を絶えず考えて、実践している言葉は学ぶものが多くて貴重なインタビューでした。
 志真さんの紹介された竹久夢二の句も驚きでした。検索してみたら夢二が平民新聞に投句や描画してたテーマには足尾銅山が数多くあるんですね。これも乱さんの故郷と社会運動ルーツとリンクする機会でした。佐々木さんの川柳班から見た傑作選紹介、制作技術の松原さん配信ありがとうございます。(柏原)

●面白い、危ない、楽しい

 歩くラジオというので、座って聞いてはいけないと雨の中歩きながら聞きました。いや、面白い、危ない。楽しく聞きますから周りに注意力散漫で危ない。これは座って聞きましょう。
 乱さんの名言集に痺れます。「アベノマスクたった二枚でどう生きる」自薦の傑作です。さすが、川柳界の生ける若手イケメンラジオ向きの乱さんです。この3人のトークが息が合って居心地がよいです。
 理論派の乱さんからのお勧めが「死刑囚あなたの夢はなんですか」でした。これは考え込む。誰しも死ぬんだから、みんな死刑囚と同じといえば同じ。特に私は末期がんで余命半年という状況で、死刑囚に近かったような状況がありました。そのときの夢は何だったのか。川柳にしてもナンにしても、言いたいことがいえる、これですね。次回を楽しみにしてます。(柴田武男)

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●第9回放送 : そそのかしたものの正体ー北村小夜さん(94歳)に聞く

●リスナーの感想

戦争はこう作られる〜気迫にあふれた語りの連続

 〈あるくラジオ〉は初めてのこころみで、スタジオを出て、北村さんの住まいからの放送。部屋はどの壁も本で埋まっている。94歳とは信じられないしっかりした話し方、そして自立した女性としての北村さん。北村さんは、治安維持法が公布された年の生まれで、わたしの亡母と同じ年。母が自分の時代を語るのを聞いているような気持ちになった。

 昨年出版された『画家たちの戦争責任――藤田嗣治の「アッツ島玉砕」をとおして考える』を軸に話された。軍国少女として「私が取り込まれてしまっていた」こと、そして戦争の経験を伝えなくてはという気迫にあふれる語りの連続だった。

 1943年9月、「アッツ島玉砕」を実際に見たとき、「このかたきは討たなければならない」「あだを討たねばならない」と心の底から思った。北村さんは、山田耕筰作曲の「アッツ島血戦勇士顕彰国民歌」を涙して歌い「撃ちてし止まん」と唱えていた少女だった。あの時代に絵がどのような役割を果たしたのかを伝えなければと思っている。

 アメリカから返還され、展示されたとき、この絵を見て反戦画だという人もいた。この絵を評価した加藤周一と藤田嗣治の二人を「じっさいに戦争をしていないそういう階級の人」と北村さんは言った。

 放送後半に流された戦時中の「汽車ぽっぽ」の歌詞には驚いた。私が知っているのは、戦後、同じ作詞家が書き直した歌だったのだ。こうした歌が、いまも文部省唱歌として音楽科の共通教材(小学校で各学年4曲)となって教えられている。

 「隣りの人も信用しない、連帯や団結がしにくく、抵抗が弱くなっている」いま、「本当のことを言う人がいないと」と指摘された北村さん。さらに実際に従軍看護婦として戦場ではたらいたこと、戦後は教師になって日教組で活動されたことなど時間がもっとあったらとおもう充実した番組だった。(なかやまの魔女)

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●第6回放送 : 朝鮮学校ってどういうところ? いま何が起きているの?

 知らないことだらけ、あっという間の1時間
 森本孝子さん(「高校無償化」からの朝鮮学校排除に反対する連絡会 共同代表)、宋和淑さん(ソン・ファスク、大学院生・社会福祉専攻)のお二人のゲストに運動の現状、感想と意見などを語っていただき、1時間はあっという間にすぎました。痛感したのは、私たちは朝鮮学校を無償化から排除した過程を知ることが、今とても大切だということです。それを正確に知ることができれば、戦前・戦後の歴史も見えてくるし、平和統一の重要性、友好が私たちに必須のものだと納得できます。私自身も、森本さんの的確な、わかりやすい語りを伺いながら、本当に実感しました。宋さんの体験談からウリ・ハッキョの素晴らしさも理解でき、それを日本政府に保障させることは私たちの義務だと思いました。映画「アイたちの学校」の音声、詩の朗読も聞いて楽しんでください。(パーソナリティ/しまひでひろ

 一人はみんなのために みんなは一人のために
 宋和淑さんの朝鮮学校の話が面白かった。学校のスローガンは「一人はみんなのために みんなは一人のために」なんだって。助け合いの精神にあふれている。朝鮮学校に見学に来る人も最初は「怖いところ」と尻込みをしているが、実際に来てみて「こんな学校だったら自分の子どもも入れたい」という。宋和淑さんが朝鮮学校で身につけたのは「生きる誇り」。その意味を知って、震える思いだった。(技術スタッフ/まつばらあきら)

 *写真=森本孝子さん(左)とパーソナリティの二人

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●第5回放送 : 北海道の今を語る〜映像のないこその面白み

 4月13日、「切り捨てられる北海道~JR民営化30年後の末路」をテーマに「あるくラジオ」に出演した。私にとっては、ネットメディアへの出演は2017年の「レイバーネットTV」 以来だ。

 ラジオというメディアを、私は当初「テレビに映像がないだけ」だと割と簡単に考えていた。私にはこれまでこの問題や、3.11を福島で経験したこともあって原発問題でも多 くの講演依頼があった。見栄えのするスライド資料などを事前に作成して臨むことも多かったが、ラジオでは見栄えのする資料など作成しても意味がない。今回は、JR北海道が 公表している決算資料や、基本的なデータ・資料集だけを手に「出たとこ勝負」感覚で臨んだ。手持ちのデータ・資料集に入れる内容は、膨大なファイルの中から、本番3日前に 直感的に選んだ。過去の講演での経験から、問題のポイントがどこにあるかはわかっていた。子どもの頃に放送部などの経験もない私にとって、映像がないため「言語化できないものは伝えられない」というラジオの特性を本当の意味で理解したのは本番開始直前だった。「非難」と「避難」、「勧告」と「韓国」など誤解を招きやすい同音異義語、一般の人も多く聴く可能性がある中で関係者しかわからない労働組合用語なども避けよう、と覚悟が固まった。だがいざ本番が始まってみると、事前に作られた進行表と松原明さん、しまひでひろさんの的確な仕切りもあり、テレビよりは気負わずに北海道の現状をオープンにできたと思う。テーブルの上に置いたペットボトルのお茶には手を付けることができなかったが、後半が始まる頃には渇きを癒やすために飲んでもいいのかな、と思えるほど余裕が生まれていた。(黒鉄好) *全文レポートはこちら

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●第4回放送 : 世界と日本が見えてきた〜太田昌国さんに聞く

 ラジオ講座で語学を身につけ、海外に放浪の旅に出てみたい……そんな思いにさせられるラジオ番組だった。ネットラジオ「あるくラジオ」第四回放送(3/29)のゲストは編集者で評論家の太田昌国さん。若いときに中南米を放浪し世界を見る眼を養った人だ。かれの自由な発想と緻密な思考は、現代の日本と世界を捉える重要な示唆に富んでいる。最新刊『さらば!検索サイト―太田昌国のぐるっと世界案内』を足がかりに番組は進行した。

 パーソナリティの「しまひでひろ」さんと「ささきゆみ」さんが聞き手となって、太田昌国さんの世界が全開した。太田さんの好きな音楽も紹介された。沢田研二の『脱走兵』(原詩 ボリス・ヴィアン)はほとんど知られていない曲だったが、それは強烈な反戦歌だった。そして武満徹編曲の「インターナショナル」。太田さんはこの曲についてこう語る。「革命歌とか労働歌は歌詞もメロディもなんと軍歌に似ているかと疑問があった。1960年、70年代の当時、集会とかデモのあとに肩を組んでインターを歌っていたけど、いまはああいう歌い方はできないと感じている。人をひたすら動員するための歌ではなくて、歌が人の心を解放する形で接することができないかと考えていたときに、武満徹が編曲したインターに出会った。それでこの武満徹のインターが好きになった」と。番組で流れたのはスローで重みのあるインターだった。

 パーソナリティのささきさんは「インターナショナルのイメージが変わりました。優しいインターナショナルで、包んでくれるような暖かいものでした」とコメントした。太田昌国さんは約1時間の番組で、グローバル化する世界の政治史から、現代日本の言論劣化の現状まで縦横無尽に語った。いまを考えるヒントにあふれる「あるくラジオ」、放送アーカイブをたっぷりお楽しみください。(M)

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●第3回放送 : 自由それとも従順?〜高校生が熱く語る

 ネットラジオ「あるくラジオ」は、2月23日<高校生は自由を求める―東京の学校はいま>をテーマに放送した。ゲストは、都立新宿山吹高校の現役生徒「わたなべこう」さん(18歳)とOBの「ひらけにうす」さん(23歳)。それに元高校教員で「君が代」不起立処分とたたかっている永井栄俊さんだった。2人の高校生は「ヤマブキジャーナル」という学校新聞を出していたが、「ボランティアの必修化」を批判した記事などが問題にされ、検閲・削除・廃刊を余儀なくされた。いまはネットに場所を移して学校新聞「ヤマブキジャーナル電子版」として発信を続けている。比較的自由な学校として有名な新宿山吹高校でも生徒への締め付けは厳しくなっていた。
 永井さんによれば「東京の学校は2000年以降、競争原理が持ち込まれ、管理教育が強まった。不寛容・厳罰主義、教育労働のブラック化、そして極端な教員不足で授業ができず自習させるところもでている」という。教育の崩壊状況だが、教員組合も声を上げられない。「2003年の『君が代』強制からものが言えなくなり上意下達になった」と永井さん。上意下達の学校で育つ生徒は、もの言わぬ従うだけの人間に育つのだろうか。
 そんな中、声を上げる新宿山吹高校の生徒たちはまぶしかった。「あなたたちを突き動かしているものは何?」。パーソナリティの質問に「ひらけにうす」さんはこう言う。「私は自由を守りたい。学校・家庭・社会では協調の名のもとに同調圧力がうまれて、個人の自由が軽視されている。他人の権利を侵害しない限り、最大限個人の自由は認められるべきだと思う」。これを受けて永井さんは「私も自由の人間。良心の自由を主張したら処分された。そのとき『大人になれ』と言われた。大人になれというのは従順になれという意味だ。おかしい。大人になることは従順になることではなく、自由になることではないのか。私は憲法がうたう『人権・自由・平和』の実現をめざして生きていきたい」と熱く語った。(M)

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●第2回放送 : 東電とたたかう「原発労働者」あらかぶさん

 1月22日のネットラジオ「あるくラジオ」で原発労働者のあらかぶさん(44歳・鍛冶職人・北九州市)さんは、縦横無尽に現場の実態と思いを語った。180センチでがっちりした体格のあらかぶさん。いまは治療がうまくいき落ちついている状態だ。だが、かれは福島第一の収束作業で被ばくし「急性白血病」を発症し、生死を彷徨う闘病生活を送ってきたのだ。ラジオでの話では「4クールの抗ガン剤、骨髄移植、治療のために歯を10本抜かれたり、輸血も60回はした」という。90キロあった体重も当時は60キロまでになった。
 なぜフクイチに行ったのか? あらかぶさんはまさに一本気な「九州の男」。福島の津波の大被害をみて「東北のために福島のためになにかしたい」と思い、家族の反対を押し切って15人の仲間と一緒に収束作業に応募したという。「仕事はやりがいがあったが被ばく対策がずさんで、鉛ベストをつけずに作業をさせられたこともあった」。大病になったものの、仲間の助けもあり2015年10月20日にフクイチで初めて労災認定を勝ち取ることができた。しかし、なぜあらかぶさんはそれに満足することになく、東電らを相手に「損害賠償」の訴訟を起こしたのか? あらかぶさんはこう語る。
 労災認定の新聞報道が翌日の10月21日にあったが、そのときの東電のコメントは『ただちに因果関係が証明されたものではない。一下請け作業員についてコメントできない』というものだった。「この言い方はひどい。お金のためではなく福島のためにと思い行ったのに。水素爆発で崩れた大変な現場で働いた人への言い草かと思った」と。そして決定的だったのは、数ヶ月後、東電がフクイチ作業員へのアンケート調査があったとき、作業員が被ばくの不安を表明した内容に対して東電は、『10月20日に労災認定された人がいたが、ただちに因果関係が証明されたわけではないので、皆さん安心して働いてください』とコメントしていたことだった。これを読んだあらかぶさんは頭に血が上った。「絶対に許さん! 自分だけの問題ではない。これからの人のためにも礎になりたいと思った。それで裁判を起こすことにした」と。
 訥々とずっしりした重みのある声で語るあらかぶさん。パーソナリティの「しまひでひろ」さんも「ひどいね、まったくだ」と相づちをうった。ニックネーム・あらかぶさんの由来は、強い流れに負けずに頑張るカサゴ(魚)のこと。以前は原発賛成だったがいまは原発大反対のあらかぶさん。まっすぐな気性のあらかぶさんがいま巨大企業「東電・九電」に立ち向かっている。東京地裁で進行している裁判も、1月23日には11回目を迎えている。(M)